宮城 2月2日

朝起きると、やはり京都より一段寒い。朝の当番で来た宿のスタッフと短く言葉を交わし、早くに宿を出流。仙台駅前で朝市を見る。ここは戦後の闇市から始まった市で、コロッケが美味しいと梅鉢の女将から聞いていた。喫茶店を探したが、個人経営の喫茶店は少ないようで、結局駅裏のビルに入っていた珈琲館でモーニング。向かいのゲームコーナーらしき場所から、騒がしい音楽。アルバイトの長髪の男性と、女性が二人。学生なのだろう。隣に女性二人が座ったと思ったら、手話で会話を始めた。

11時になり、前々から話を聞いて行きたいと思っていた「火星の庭」へ。ざっと古本の棚を見て、それから仙台で活動するアーティストたちの作品のコーナーを見る。志賀理江子さんの『Blind Date』を開こうとすると、すごく開くのが難しい。喫茶スペースのテーブルに座り、レンズ豆のカレーとコーヒーを注文し、写真集を開く。テープで留めてある外箱を開き、一枚一枚綴じていない写真を見る。店内にはもう一人、学生らしい女性が、同じくカレーを食べ、本を読んでいた。写真集を見てから棚に戻し、カレーを食べ、田中優子『江戸の想像力』を買う。

午後には気仙沼まで行く予定にしていた。火星の庭近くの、ピーチ系列のレンタカー屋で車を借りる。ここもセール中で安く、事前に予約をして行木、2日間借りることにする。また安すぎて心配になる。仙台を出る前に、東北リサーチとアートセンターで、仙台を中心に活動する団体、NOOKの「語り野をゆく」展を見ていくことにする。東日本大震災と日本の第二次世界戦争の経験を語る三名の語り手の語りとその背景を、文字と映像で丁寧に紹介している。

展示を見ていたら、昼過ぎには出発するつもりが、15時頃になった。少し焦りながら、まずは東松島へ向かう。

東松島に向かう途中、その手前には、松島がある。なぜ海と島が点在する風景がそれほど良いのかわからないのだが、その美しさにしばし車を止めて見入る。志賀さんが、松林の美しさに惹かれて北釜に移り住んだということを本で書いていたが、美しさの要因の一つは、松にあるのかもしれない。車から降りて、松林を歩き、島々と海を眺めた。

東松島に着く頃には夕方になっていた。東松島の小野地区は2012年に一度訪れたことがあり、東松島市小野駅前応急仮設住宅の女性たちが集まって、東松島の復興を願い「小野くん」という、靴下を使った人形を作っていた。今はその仮設住宅はなくなったが、彼女たちは陸前小野駅の隣に「空の駅」というスペースを作り、小野くんを作り続けている。空の駅の中を覗かせてもらうと、女性が二人いて、徐々に前に来た時に会ってお世話になった方達だということが思い出された。そのことを話し、京都から持ってきた八ツ橋を渡す。人気で待っている人がたくさんいる小野くんだが、直接訪問してくれたからと、二つ買わせてもらう。甥っ子にあげようと思った。翌日には、学生ボランティアとともに、節分のお祭りをするということだった。

暗くなり始めたので東松島を出発し、今晩宿泊する予定の「気仙沼ゲストハウス 架け橋」へ向かう。「架け橋」は、震災をきっかけに気仙沼にボランティアに来た大学生の田中惇敏さんが、ボランティアのための宿として開業した場所で、現在はより広く、人々の交流のための場として宿泊を受け入れている。県外の人が被災地を知るための様々な取り組みや、地元の人のための仕事作りも行っている。1年ほど前に短く滞在したが、その時よりも活動が広がっているようで、この日は新しいスタッフがいた。その人に紹介してもらい、夕食は地元の人が集まるという居酒屋「ピンポン」へ。ピンポンは震災の津波で浸水したが、その後営業を再開したのだそうだ。行ってみると賑やかで、店主は常連さんと親しく話を交わし、地元の世間話らしき声が聞こえる。僕にもどこから来たのと声をかけてくれる。メカジキが「メカ」と呼ばれたり、魚の心臓が「ホシ」と呼ばれたりと聞きなれない呼び名が多かったが、刺身や焼き物、スープなどどれもおいしい。帰りには、慣れない寒さで体が冷えた気がしたので、宿の近くのスーパー銭湯「ほっこり湯」へ浸かって帰着。