時間と他者

理論的に語るのは難しいが、「時間が流れている」という実感を私たちは現実的にはありありと持つことがある。それは私のうちで誰か「私ならざるもの」が語り始める時である。私の中で他者が語る時に時間が流れる。/私とは違う視座から世界を眺め、私とは違う度量衡で事物を考量し、私とは違う論理で思惟し、私とは違う語法で語る「私ならざるもの」が私のうちで語り始めるということが、現実にはたしかにある。そしてその時、私はもう単独者ではない。その同伴者との「終わりなき対話」が始まるからだ。その往還を通じて時間は流れる。(133頁)

ユダヤ神秘主義カバラーによれば、神の最初の行為は創造ではなく、収縮(消失)であった。神の自己収縮・自己消失によって空いた空間に万象が生じるのである。万象は無起源的に自生するのではない。〈無限者〉が立ち去ったことの効果なのである。創造とは撤収のことであり、始まりとは消失のことである。このカバラー的考想はレヴィナスの哲学のいたるところにその痕跡をとどめている。(152−153頁)

内田樹レヴィナスの時間論』新教出版社、2022年)