書くことの”小回り”

どんなこともある個人が語るというのである限り、中心をもつ円の弧の形をしている。つまり、書く人はあることを語ろうとするのだが、自分の言いたいことを言おうとする余り、しばしば何が本来語られなければならないかという限定をはみ出て、”小回り”してしまう。あることを語るには、腹八分ではないが、語り残しがあることが大切だ。それは、次に書くもので語ればよい。それが著作のリズムを作ることになる。指離れのよいキーボード、子離れのよい母親のように、自分の考えに余りにとらわれずにあるところで、自分の考えと別れること。そういうことを、わたしは著者の口から聞いたことはないが、その呼吸を、著者の身ぶりを見ていて、教わった。

加藤典洋「解説」、鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』岩波現代文庫、所収)