2020年3月11日

3月11日、今年は陸前高田に行きたいと思っていたけれど、いろいろな事情で行くことができなかった。以前一緒に三陸沿岸を訪れたことがある金谷さんが、京都のgorey caféで『あわいゆくころ−陸前高田、震災後を生きる』の読書会をすると聞き、参加することにした。

『あわいゆくころ』は、東日本大震災後に陸前高田に移住し制作を行ってきた、瀬尾夏美さんによる単著で、彼女が2011年から2016年ごろまでにツイッター上に投稿してきた、東北の被災地の土地と人々のこと、そして著者がそれを通じて感じ考えた言葉が、選んで収録されている(「歩行録」)。またその間、一年ごとの経験を後から振り返りつつまとめたエッセイが挟みこまれており、本の最初と最後には、本書に描かれたまちの姿へ続くトンネルのように、読む者を導いていく短い物語と(「みぎわの箱庭」)、読み終えて七年の時間をくぐり抜けた後、そこから鳥のように飛び立っていくための、歌のような文(「飛来の眼には」)が収められている。

読書会当日は、参加した五人がそれぞれ、ツイートによる「歩行録」を交代で音読する形で進められ、全部は読めないので各年の3月から5月ごろまでを輪読した。最初に二年分を読み、それから五人で感じたことを話し合い、また歩行録に戻る。するとそれぞれが出す声も、最初とは変わっていく気がした。僕自身は、より言葉の中の世界に入り込んでいった感覚がある。そしてその発声と対話のサイクルを三回ほど繰り返した。

この著書を出版直後に読んだ時、年ごとにまとめられたエッセイに教えられることが多かったので、どちらかといえば「歩行録」は(以前から瀬尾さんのツイートを見ていたこともあり)、事実の報告のようにして、それほど立ち止まらずに読んでいた。けれど今回声に出して読むと、その印象はまったくちがった。前には読み飛ばしていた、被災地の人々や著者の言葉の中の一つ一つに、細かな陰影があることに気づかされ、著者がエッセイの中で展開している思考とは異なった手触りというか、その思考が形づくられてくる前の、もっとやわらかな波のようなかたまりに、触れられることに気がついた。方言が多く書き留められた文を声に出すときには、最初発音が難しかったけれど、慣れない言葉をなんとか声に出そうとしているうちに、不意にその言葉を発した人が、自分の中に入ってくる感覚があった。

こんな風に著者が書き留めた言葉を声に出して読み合うことで、遠く離れた場所にいながら、僕たちは陸前高田を思う人々につらなれているという気がした。

流行の感染症に混乱する日々の中で、この朗読の時間は、遠い場所から陸前高田の3月11日へと立ち戻る、別の時間を開いてくれた。翌日になれば、京都でまた新型コロナウイルスの蔓延を考えざるをえない時間に引き戻されるのだが、それでもこの朗読の会を経たあとでは、その感触もやや変化している気がした。ウイルスに怯え混乱する世界の中に、あの東日本大震災の時間は紛れもなく含み込まれていて、僕たちは2011年の震災から続く今を、生きているのだということ。当然のことかもしれないけれど、そのことを改めて確認したのだ。

新型のウイルスを巡って、東日本震災の直後に起きた状況のいくつかが、現在も反復されて出現している。街でマスクをつける人々を見ると、僕は時々、2011年3月11日の後、放射性物質を防ぐためにマスクをしていた人々の姿を思い出す。そして現在、この方法でウイルスを防げるのだろうかと思うとき、人体への放射性物質の侵入を完全に防ぐのはおそらく難しいだろうと、2011年にアパートの風呂の水を出しながら考え、それからとても静かな気持ちになったことを思い出す。

いま僕たちは、同じ時間の続きを生きている。そこには東日本大震災の後、それぞれが思い、考え、行動に移してきたことが必ず含まれ、現在の出来事に向かおうとする時、それらが再び立ち現れようとしていることに気がつく。こういう形であの出来事が自分の中に残っていることをたしかめることに、少々奇妙な感覚を抱きながらも(今のところあの頃の経験がウイルスへの対策として何か具体的な効力をもったわけではないので)、僕はそのことに安心しもする。それは、東日本大震災をそのような形で覚えていられるということであり、そこではあの出来事を悼むというあり方が、陰のような仕方で、続けられていると思うからだ。

2011年に感じた恐れや戸惑い、それを起点として生まれた迷い、やさしさ、工夫や歓び、それとともに今なお課題として残っている事柄は、現在の状況においても、同じように重要であり続けている。そしてまた、このようにあの震災という出来事とのつながりが保たれている限り、2011年からいまだ解決されずに残っている深刻な問題にも、立ち向かっていく意思や行動が芽吹く土壌が、あり続けているように思えるのだ。

2020年3月12日、はじまる時間を思いながら。