岩手 8月31日

7時半頃起床。宿泊させてもらった住田町の菊池さんが、食べきれないほどの朝食を出してくれた。農家なので野菜がメインなのだが、なかでもズッキーニが自慢で、東京の表参道の店では一本500円で売れるという。たしかに生でも食べられるくらいの、新鮮で濃い味がした。


朝食を食べてから、バスで30分ほどの陸前高田市へ。住田町は山の中で津波の被害はなかったのだが、陸前高田は海沿いだったため旧市街がほとんど流されてしまっている。その様子をまわって見ることにした。新しい市役所前のバス停で降りて、旧市街の方へ歩く。市役所で地図をもらったのだが、古い地図と新しい地図では全くちがう。古い地図に載った街が地図ごと流されてしまったような、そんな感じである。新しい地図には、いくつかのプレハブ店舗が記載されていて、まずはそのうちの一つ、佐藤たね屋さんに行ってみることにした。


佐藤たね屋さんのことは、住田町に住んで被災地の絵を描いている瀬尾なつみさんに、おもしろいおじさんがいるからとすすめられて知ったのだった。店はやはりプレハブで、外にはミニトマトとパプリカと毛糸の花が植えられている。それを見ていると中から人が出てきて、それが店主の佐藤さんだったのだが、こちらの自己紹介もろくにしないうちから、いろいろと震災の話を聞かせてくれた。佐藤さんは震災後、苦手だった英語を学び始めたという。震災の様子を英語で記録するためなのだが、それを日本語ではなく英語で書いたのは、経験が重く苦しすぎて、母語では書ききれなかったからだ。書き始めたらどんどん言葉が止まらなくなり、結局一冊の本になってしまった。タイトルは ”The Seed of Hope in the Heart”(心の中の希望のたね)。ところが書き上げるころには英語への理解が深まり、自分にとってリアルな言葉になったため英語で書くのも苦しくなってしまって、いまは中国語を学びながら書いているらしい。ものすごいバイタリティであるなあと思うと同時に、大変なものを背負っているのだと感じた。また、佐藤さんは植物を育てるために、店の裏に竹の筒一つで地下5メートルの井戸を掘っていた。これも常人にはなかなかできないことだ。


佐藤たね屋さんと別れてからは、陸前高田の旧市街を通って、海辺に向かった。道沿いには、コンクリートの土台だけになった建物の残骸と、一階が鉄骨だけになった以前のショッピングセンターがある。なにかの遺跡のようだった。その横には、きれいに固められた瓦礫の山があった。瓦礫のそばは埃っぽく、このなかにはどれくらい放射性物質が含まれているのだろうか、などと考えた。マスクをもってくればよかった。旧市街を抜けると、海に着いた。陸前高田の海岸には、有名になった一本松がある。この日は海沿いに濃い霧が出ていて、その中で一本松だけが遠くに浮かび上がり、なにか神々しさのようなものを感じさせていた。しかしその一本松も枯れてしまっていて、これから1億円以上かけてオブジェとして保存することが決まっているらしい。


海を見ながら菊池さんがもたせてくれたおにぎりを食べ、新市役所の前まで戻り、そこから今度はバスで大船渡市へ向かった。陸前高田からバスで30分ほど。ここも津波で大きな被害を受けた場所だと聞いていたが、陸前高田とちがい復興はかなり進んでいるように見えた。海沿いにはだいたい建物が建っていて、津波の痕は感じられなかった。陸前高田からは震災後住民が出て行ってしまったが、大船渡には人が残った。それが復興のスピードに影響しているらしい。大船渡の街をすこし歩いてから、バスで住田町の菊池さん宅まで戻った。同じ日に宿泊していた、東北で取材をしているportBのスタッフたちが、線香花火をやっていた。夏が終わりかけていることを思い出した。