宮城 9月1日

朝起きて朝食を食べ、瀬尾さんの家へ。portBの手伝いで仙台へ行く瀬尾さんの車に乗せてもらうためだ。瀬尾さんは古いアパートの一階に住んでいて、隣には相棒の小森さんが住んでいる。小森さんも同じく被災地に移り住んで創作をしていて、現地を映像で記録している。瀬尾さんの部屋で描いている絵を見せてもらったが、被災地が原色ですごくカラフルに描かれているのが印象的だった。荒野となった被災地は、瀬尾さんの目には美しく映っているのだろうか。


小森さんにコーヒーをごちそうになって、ひと通り瀬尾さんの作品を見せてもらってから、仙台へ向けて出発。仙台には「せんだいメディアテーク」という施設があって、そこにある「3月11日を忘れないためにセンター」(略して「わすれン」)というセンターに勤務されている清水さんにお話をうかがうのが目的だった。せんだいメディアテークは赤と白を基調にしたモダンなデザインで、パリのポンピドゥーセンターを思わせる場所だった。公共施設でこのような先端的なものがあることに入ってまず驚いた。


清水さんが所属している「わすれン」では、被災の経験について考える哲学カフェや被災地の映像を記録してアーカイブ化する活動を行っていて、センターやwebページではたくさんの映像を視聴することができる。清水さんから聞いた話で一番印象に残ったのは、哲学カフェにはいくつかルールがあって、そのうち重要なものに「参加者それぞれの意見をみな平等に扱って、意見に白黒つけようとしない」という項目があるということだった。


このルールが生まれた理由は、震災後話し合いの場を持ったときに、誰が本当の被災者かを決めようとする議論が起こったからだという。けれども「本当の被災者」を決めるというようなことは可能なのだろうか。それはほとんど不可能、というか無意味なことのように思われる。なぜかというと、例えば宮城の内陸部から話しにきた人は「私は津波の被害を受けていないから被災者ではない」といい、沿岸部から参加した人は「私は家が流されても家族が生きているから被災者ではない」といい、家族が亡くなってしまった人は「私には命があるから被災者ではない」という。これでは本当の被災者は死者しかいないことになり、震災について語ることがほとんど不可能になってしまう。そうすると被災の経験を反省して、そこからポジティブな要素を引き出すことができなくなる。このような帰結を避けるために、「わすれン」の哲学カフェでは「参加者それぞれの意見をみな平等に扱って、意見に白黒つけようとしない」というルールが生まれたのだそうだ。


メディアテークを出てからは、ピーターパンというロック喫茶で一休みして、仙台駅から次の目的地である東松島に向かった。この日の夜は、今回旅を同行した知人が以前ボランティアに行ったことのある、東松島仮設住宅に泊めてもらうことになっていた。目的地の最寄り駅はJRの陸前小野という駅なのだが、沿岸の鉄道がまだ完全には復旧しておらず、松島海岸という駅からは振替えバスで行くことになった。バス停に着くとあたりはもう暗くなっていて、迷いながら仮設住宅の集会所にたどり着いた。到着すると、ここの仮設住宅自治会長をされている武田さんが迎えてくれて、魚の煮付けとビールをごちそうしてくれた。風呂や寝るところまで用意してくれた。自分はボランティアに来たわけでもなく何の援助もできないのに、こんな風に歓待してもらって申し訳なく思ってしまった。武田さんは見学でも被災地の様子を見て伝えてくれるだけでも役に立つからといってくれたが、それでも、どういう顔をして彼女たちに接すればいいのか、最後までよくわからなかった。集会所にあった震災の証言を集めた冊子を読んだら、武田さんやそこで会った人たちの被災体験がしるされていて、彼女たちが経験した恐怖と別れの悲しみを想像してしまったから。震災から一年以上もの時間が経っているので、みんなの顔は明るそうにみえるけれど、その奥には、僕には想像もできない重みを抱えているのではないだろうか。


ところで陸前小野の仮設住宅では、女性たちが「おのくん」というマスコット人形を作っていて、それが人気でよく売れるのだそうだ。手足が細く長くて、目がまんまるい。くちぐせは「めんどくしぇ〜」。これはNHK小野文恵アナウンサーのアイデアなのだそうです。