長く続くものと、そうでないもの

この間、音楽史の講義でなるほどなと思うことがあった。
価値の持続性の話である。
僕たちはある作品について、「賞味期限」のあるものと、
そうでないもの(永遠の価値をもつもの)という分け方をすることがある。
たとえばある種の流行音楽は、いっときはものすごく人びとに支持されるが、
すぐにダサく聴こえるようになってしまう。
別のある種の音楽は、一度に爆発的に人気が出ることはなくても、
何十年経ってから聴いても古びない良さをもっている。
多くの場合、前者は「賞味期限」のあるもの、後者は「永遠のもの」と考えられがちである。
しかし講義で教員が言っていたのは、
それはやや単純すぎる二分法なのではないかということだった。
さしあたり、人間の感性・感覚は社会的に規定されていると考えられるとすると、
社会が変化する場合、変化がもっとも早い表面的部分に依存して生まれた音楽は、早く廃れる。
つまりすぐに人間の感覚に訴えなくなる。
けれどもその社会の深い部分に根ざして生まれた音楽は、その「根」が変化するまでは価値を失わない。
こんな風に、その根がどこまで深く達しているかによって、作品のもつ価値の期限の長さも変わってくる。
けれども、永遠に変化しない「根」というものはない。
永遠に続く社会などないのだから、永遠に続く価値をもつ作品もないと考える方が妥当だろう。
教員の話の趣旨はだいたいこういうものだった。
好きな作品にはつい「永遠の価値」を与えてしまいたくなるけれども、
価値の続く時間は1(永遠)か0(一瞬)かではなくグラデーションになっていると考えた方が、
たしかに現実に即しているかもしれないと思った。
そう言わなければならないのは、すこしさみしいのだが。