人生

希望のない人生というのはたぶんありえない。そして希望には、遂げるか、潰えるかの、二者択一しかないのではない。希望には、編み直すという途もある。というか、たえずじぶんの希望を編みなおし、気を取りなおして、別の途をさぐってゆくのが人生というも…

書くことの”小回り”

どんなこともある個人が語るというのである限り、中心をもつ円の弧の形をしている。つまり、書く人はあることを語ろうとするのだが、自分の言いたいことを言おうとする余り、しばしば何が本来語られなければならないかという限定をはみ出て、”小回り”してし…

沈黙と表現

名前は社会からあたえられる。しかし、それは便宜的なものだ。名前をまだつけられていない状態の自分から、つねにあらたに考えてゆかねばならない。(30頁) 黙っている人間は、ただ黙っているだけじゃなくて、沈黙のなかの記憶というのはあるんだ、というこ…

時間と他者

理論的に語るのは難しいが、「時間が流れている」という実感を私たちは現実的にはありありと持つことがある。それは私のうちで誰か「私ならざるもの」が語り始める時である。私の中で他者が語る時に時間が流れる。/私とは違う視座から世界を眺め、私とは違…

もうひとつのこの世

「もうひとつのこの世」という言葉があるでしょ、これは石牟礼さんの言葉。僕はそもそもが共産主義者だからね。(中略)結局社会主義というものの本質は、ユートピアなのよ。だからそのユートピアっていうのは、一つは、「貧しい」ということがあるとすると…

傷を愛せるか

思想家のハンナ・アーレントは、「赦し」と「約束」について語っている。彼女はそれらが「再開の可能性への賭け」になるという。復讐にたいしての「赦し」、支配にたいしての「約束」。 復讐の代わりに「赦し」を、というのはわかりやすい。復讐とは過去のく…

見守る人生

自分を見張るのではなく、自分を見守る人生を見つけました。 難病で中途失明した、詩人の小泉周二さんの言葉(朝日新聞6月18日朝刊)

自分たちで作る

自分たちで何かを作るってことはね、要するに政府に頼らない。〔中略〕自分たちで世界を作らなくっちゃ。自分たちで作る世界の形というのはいろいろあると思うけどね。一つは、自分の言葉を使うこと。 近ごろ、自分の言葉を話せなくなってるの。〔中略〕抽象…

世界の超越

で、学校から帰る前に公園に寄ってた。泣きべそかいて家に帰る訳にはいかないからね。公園には木があるのよ。今思うと木が語りかけてくれたんだと思う。「学校のクラスだけが世界じゃないよ。見てごらん、自分達を。もっと違う広い世界があるのよ。お前が生…

木を伐ること

山林には、森には、確かにこの世のものとは、別の自由の空気が流れている。山鋸一本持って森に入れば、そこには原初の生命の響き合いがある。もの言わず流れているこの世とは別のエネルギーがある。その響きに触れ、エネルギーに触れる時、僕はそれが人間に…

純潔と差別

人類が一つの場所になかなか定住しなかった大きな理由の一つは、疫病にあった。定住することで全滅の危険があることを、経験的に学んだのである。共に生きるということは、ある程度の汚れを許容するということでもある。どこまでも純潔を求めるところから差…

思想

ひとつの理念なり、思想的営為なりが、公共性を、市民権を、持つようになってくる、ということは、たぶん、よくないことにちがいない。思想とは孤立性をそのバネにするときのみ自立しうる。 (石牟礼道子「自分を焚く」『流民の都』大和書房、1973年、440頁)

共同体と運命

「ある共同体に強い運命が降りかかったとき、共同体の一人ひとりから価値観の表出が始まる。そこに対話が生まれ、ドラマが生まれる」 私は長年、このように考えてきました。 (平田オリザ『ともに生きるための演劇』NHK出版、2022年、4頁)

『山口啓介 後ろむきに前に歩く』広島市現代美術館、2019年

「つまり、消費文化というものは、残さないことを前提として、ひたすら消費し尽くすことで、新たなる需要とさらなる供給の連鎖を生み出す必要に運命づけられており、その意味では「根絶やし」の思想は消費社会の必然だったとも言えるのではないか。そして、…

自分の耳で、決めなくちゃいけない

音楽を聴いたときの実感を言葉を見つけることについて、村上春樹『古くて素敵なクラシック・レコードたち』にまつわるインタビューより。 ーどうやって、その言葉を探すのですか? 見つかるまで、しつこく。どんな気持ちでこの音楽を聴いたのか。それが、ど…

家族と記憶

家族という集団の特徴の一つは、メンバーの記憶が途絶えない限り、死者が居場所をもつことである。いとおしくかけがえのない死者と共に生きることも家族の特徴である。 (神田千里『戦国と宗教』岩波新書、2016年、108頁)

決断の蓄積

多くの決断の蓄積、とはわかりやすいことばにいいかえれば、「物語」のことである。一個一個の人々は「物語」をもっている。 (鳥越皓之『沖縄ハワイ移民一世の記録』中公新書、1988年、ⅴ頁)

生きる

生きるってのは、死ぬかもしれんけど、その土地の魚を食べ続けるようなことかな。 今朝電話で聞いた、以前水俣で暮らしていた友人の言葉。

2020年3月11日

3月11日、今年は陸前高田に行きたいと思っていたけれど、いろいろな事情で行くことができなかった。以前一緒に三陸沿岸を訪れたことがある金谷さんが、京都のgorey caféで『あわいゆくころ−陸前高田、震災後を生きる』の読書会をすると聞き、参加することに…

歌の約束

5月、加藤典洋さんが亡くなった。 自分が年齢を重ねるにつれて、知った人が亡くなることが増えている。 そのことは仕方ないことだし、受けとめざるをえないことだ。 鶴見俊輔さんも石牟礼道子さんも好きだったけれど、亡くなった。 生前に会っておきたかった…

信仰と共同性

内山節さんの本を読んでいて、いま考えていることについて通ずる箇所があったので、ここに書き残しておく。 日本の伝統的な社会では、生も死も今日のような意味での個人のものではなかった。もちろんどんな社会にもいても、生と死に個人のものという一面があ…

友部さんの詩

言葉は時間に払うお金のようなもの (「彼女はストーリーを育てる暖かい木」より)

時間

終わりへ向かう時間は、いつの間にか終わっていた。 その最後が近づくにつれ、時間の密度は強いものになっていった気がした。 終わりに近づくにつれ、気持ちが高揚した。 その先には何かがあるような気がした。 * 終わるその時、そこには何もなかった。 終…

東京 12月25日

12月25日、陸前高田と仙台からの帰りに、 東京の西神田にあるギャラリー、nuisanceで友部正人さんの歌を聴いた。 * 友部さんの「日本に地震があったのに」の演奏がとても激しくて、 友部さんの声もギターもどんどん大きくなっていって、 そうなればなるほど…

このページに記載するのが遅くなりましたが、鳥取のベーグル喫茶「森の生活者」の冊子『森と生活者』第14号に「台風と家」という文を、それから鳥取の文化・芸術を紹介するウェブサイト「トット」の「本棚帰郷」に、『The Seed of Hope in the Heart』を紹介…

鳥取のベーグル喫茶「森の生活者」の冊子『森と生活者』第13号に「信州(二)」という文章を書きました。鳥取のお店で見かけられたら、手に取ってみてください。

鳥取のベーグル喫茶「森の生活者」の冊子『森と生活者』第12号に「誰かにまもられること」という文章を書きました。それから鳥取の文化・芸術を紹介するウェブサイト「トット」の「本棚帰郷」に、『The Seed of Hope in the Heart』を紹介する記事を書いてい…

鳥取のベーグル喫茶「森の生活者」の冊子『森と生活者』第10号に「パリの広場」という文章を、第11号に「言葉を書く」という文章を書きました。森の生活者で買えるので、お店に行かれる方はぜひ読んでみてください。

外の言葉

穂村弘の言葉、「美術手帖」2018年3月号の鼎談で。 芸術にとどまらない、社会的なユートピアを夢見る意識。三島由紀夫にせよ寺山修司にせよ、ある世代まではこの「現状を覆す」感覚を当たり前に持っていた。それが急速に薄れたのは「コンテンツ」という概念…

岩手・宮城 2月4日

昨日の会でご一緒した気仙沼出身の方が一人宿に泊まっていて、起きてその人の話を聞き、それから陸前高田へ出発する。今朝は渡辺謙さんらが気仙沼で経営するカフェのイベントがあるらしく、そこへ行く人も多いようだった。そちらも気になりつつも、急ぎ陸前…