信仰と共同性

内山節さんの本を読んでいて、いま考えていることについて通ずる箇所があったので、ここに書き残しておく。

日本の伝統的な社会では、生も死も今日のような意味での個人のものではなかった。もちろんどんな社会にもいても、生と死に個人のものという一面があることは確かである。だが現代のそれは、個人のものとしての生と死が丸裸になっているのに対して、伝統的な社会では、個人の生と死を自然やそれと結ばれた神仏の世界、村の共同体が包んでいたのである。

(中略)

ところが近代社会が形成されてくると、人間は自然から離脱し、共同体からも離脱するようになる。包んでいる世界がなくなったのである。そして、そのことによって、生も死も裸の個人のものになった。生と死が個人の孤独な営みに変わったといってもよい。それは信仰のあり方も変えた。包まれているものとともにあった信仰が、裸の個人を救済する信仰に変わったのである。「包まれているものとともにあった信仰」とは、「風土とともにあった信仰」、「土地とともにあった信仰」、「場とともにあった信仰」といいなおしてもよい。

人間が太陽の光に包まれ、風に包まれて生きるように、かつての日本の人々は、自然に包まれ、共同体に包まれて存在している自己を感じていた。だから自分をみつめようとすると、そのこと自体のなかに自然や共同体が入ってくる。自然や共同体に包まれて成立した「場」のことを風土と呼ぶなら、自己とはたえず風土とコミュニケイトするなかに成立するものだったのである。(内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書、2007年、51, 54頁)

 日本では、伝統的には、自然を人間の外に展開する客観的なものとして捉える発想がなかった。その理由は、村の自然としてつくり変えたものが自然だったからである。自然は自然の力だけで生命的世界を築いているわけではなく、「ご先祖様」の力が加わってつくられているものでもあった。自然の歴史と人間の歴史は一体なのである。

ただしすべての自然がそうなわけではない。山奥には、自然の力だけで展開する自然が存在する。それが人智を超えた自然であった。その自然は人里の生活に危険を与えないがゆえににつくり変える必要のない自然でもあり、純粋な自然である。村とはこの純粋な自然を奥にもち、その下に村人によってつくり変えられた自然と里を展開させる世界であった。

そして人々はこの全体のなかに生命の流れをみた。純粋な自然から里へと降りてくる生命の流れである。自然も人間もこの世界のなかに暮らしている。自然そのものであり、自然に還った「ご先祖様」でもある「神」もこの生命の流れのなかに存在している。だから「神」は純粋な自然としての奥山、霊山に暮らしながら、つくり変えられた自然のなかにも水神や山神として暮らし、さらに里にも「田の神」や「土地神様」として暮らす。同じ神がそれぞれの場所で、それぞれの姿を表すのである。私たちの先祖はそういうものを「権現様」と呼んできた。

(中略)

「神のかたち」は仮託された代表的なものであろう。村人とともにある「神」は、つきつめれば姿かたちがないばかりでなく教義もない。なぜなら神の本体は自然と自然に還ったご先祖様であり、その本質は「おのずから」だからである。「おのずから」のままにありつづけることが神なのである。だから人々は神が展開する世界に生命が流れる世界をみた。生命を仮託したのが神ではなく、「おのずから」の生命の流れが神の展開なのである。だから人間も「おのずから」に還ることができれば神になれる。(同書、171−175頁)