「宗教」と日本人

ときどき「宗教」というものをいったいどう定義したものかと考えるのだが、
「宗教」っていったいなんなのだろうか。
とりあえず僕としての当面の結論は、
「宗教」というのは、
人間がコントロールできないものに対する人間の態度の取り方である、と思う。
つきつめれば。
それに対して「科学」というのは(社会科学も含め)、
人間によってコントロール可能なものに対する人間の態度の取り方だと考えている。
「科学的」態度とは、一般に「知」と呼ばれているあり方のことで、
人間は自然を「知り」、社会を「知る」ことで、
それらの領域をコントロール可能なものにしている。
ただし、コントロール可能な領域は、あくまで有限なのだけれども。



だから僕は、よく言われるように「日本人が無宗教」だとはまったく思わない。
「宗教」というのは、衣食住と同じように、
人間が思考する生物として存在している以上すでに、人間の構造の中に含まれてしまっている「要素」だ。
なぜなら、自分がなぜ存在し、なぜいずれ死ななければならないか、
その理由を科学の力では絶対に説明することはできないからだ。
人間が存在し、思考すること、ただそれだけで、
コントロール不可能な要素が人間内部にすでにはらまれてしまっている。
だから「日本人は特定の宗派に対する強い信仰心をもたない人が多い」とはいえても、
日本人だけが例外的に無宗教だということはありえない。
キリスト教イスラム教、新興宗教などの各宗派は、あくまで「宗教」がとるひとつの形態であって、
宗派や教団のことだけを「宗教」と考えるべきではないと思う。
でないと、「宗教」の本質を見誤り、人間を見誤ることになる。



日本人は戦後長い間、そのことを見誤ってきたのではないだろうか、と、ふと思う。