不思議な「読後感」

すくなくとも自分の場合、どこか感動がないと、言葉が出てこない。
そうでない場合に必要があって書くことがあるにしても、
やはり本当に内発的な言葉は、心が動かされることがないと出てこない。
そして今回の鳥の劇場の作品
『およそ70年前、鳥取でも戦争があった。戦争を知らないわたしは、その記憶をわたしの血肉にできるだろうか。』
にはそんな部分を感じた。
だからここに、なにか書いてみたいと思った。
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今回で三回目の上演を迎えるこの作品は、主に二つの要素を組み合わせることで成り立っている。
一つはスペイン人作家F.アバラールの『戦場のピクニック』という戯曲であり、
もう一つは鳥取県の戦争体験者の戦争に関する証言、鹿野町戦没者名簿といった、
地元鳥取にとって身近な戦争の記録である。
そしてこの作品は、これら二つの要素のうち後者の断片的な鳥取の戦争の記録を、
『戦場のピクニック』によって普遍的なレベルで結びつけ、ひとつの物語としてまとめている。
演出ノートで構成・演出の中島諒人はこう語っている。

出来事や写真は文字や数字で残ります。残らないのは、空気や気持ち、感情です。今は消えて残っていないものを、頭で理解した気になるのではなくタイムスリップしたように生の感覚で感じてみたいと思ったのです。作品名の「その記憶を、私の血肉にできるだろうか」には、そういう気持ちを込めています。

この発言やタイトルから判断するかぎり、この作品は鳥取という日本の一地方において、
第二次世界戦争という巨大な歴史的出来事がどのように個人の生活に染み込み、流れ去っていったか、
そのことを観客が実感できる形で再現することに狙いがあったと思われる。
それはつまり、表面的ではないもっとずっと深いレベルで戦争というものを理解し記憶しようとするための、
一つの試みであったと言い換えることもできるだろう。
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そのこと自体はとても大切なことである。
けれどもそれはまた、戦後数多く行われてきた類似した試みのうちの一つでもある。
だがそのようなある種の平凡さにもかかわらず、
この作品を観て僕には強く惹かれるところがあった。
それはこの舞台が、戦没者への喪で、つまり戦没者を悼む場面で締めくくられたことに関係している。
出演者が最後、厳粛なムードの中、照明に照らされた戦没者の遺影に祈る姿に、妙な気持ちを感じさせられた。
敗戦から70年後、鳥取という辺境の地方の戦没者たちを、
鳥取の片隅の劇場で俳優たちがフィクションのなかで悼んでいる。
しかしフィクションとはいえ、戦争があったこと、人が死んだことは事実であって、
彼ら/彼女らの喪に服することは、フィクションのうちでフィクションを越えてしまうことになる。
つまりここではフィクションとフィクションではないものが、奇妙に混在している。
このような時空間のズレが、僕に不思議な感覚を抱かせていた。
そのズレを感じながら、
ともするとかすかな笑いが洩れてしまいそうで、しかしやはり笑い切ってしまうことができない、
そんな迷いと、かすかな眩暈があった。
こんな経験に、僕は心を動かされたのだと思う。
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この作品のテーマを、重苦しすぎる、と思われる方も多いのではないだろうか。
実際に作品中には戦没者の写真が次々と出てくるし、証言も長い。
むちゃくちゃうるさい爆撃機の騒音が続き、
登場人物は恐れおののき、観客席は低音でびりびり震え続ける。
上演の最期には、薄明かりのなか俳優が戦没者の喪を行う場面がある。
そしてここでは詳しく書かなかったが、朝鮮半島との関係をめぐる問題提示もある。
どう考えても観ていて苦しくなってきそうな内容である。
けれど上演が終わったとき、すくなくとも僕の心は妙にすっきりしていた。
それがなぜなのかよくわからず、今でも不思議であり、その答えがまだよくわからずにいる。