木を伐ること

山林には、森には、確かにこの世のものとは、別の自由の空気が流れている。山鋸一本持って森に入れば、そこには原初の生命の響き合いがある。もの言わず流れているこの世とは別のエネルギーがある。その響きに触れ、エネルギーに触れる時、僕はそれが人間にとって最も大切なものであることを感じる。これから伐り倒す一本のシイの木の前に立ち、その木肌に触れると、人間同士で握手をしたり、山羊の頭をなぜたりニワトリを抱いたりする時とは全く別のやり方による生命との触れ合いがある。木肌は冷たく湿ってさえいるが、その奥からは豊かで純潔な樹液の流れが伝わってくる。僕はこれからそのシイの木を伐るのだが、僕達の出会いには、伐り倒すものと伐り倒されるものの関係はない。チェンソウではなく山鋸を使う限りは、木は伐られることをむしろ喜んでいるように感じられる。

山尾三省『狭い道』野草社、2018年、154〜155頁)