日本と理念

最近の政権や選挙を見ていてしみじみと思うのは、
日本って本当に理念のない国なのだなということ。
例えばアメリカ国家には「自由と民主主義」、
フランス国家には「自由、平等、友愛」という理念がある。
だから一度国の方向がまずい方に向かっても、戻るべき参照軸がある。
だけど、日本にはそれがない。
これが第二次大戦で日本はあそこまで途方もないことをすることができた原因のひとつだろう。
これは本当に困ったことだと思う。
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今まで日本の参照軸の変わりを果たしてきたのは、憲法アメリカだった。
しかし現在、憲法の「揺るぎなさ」は崩れつつある。
なぜかというと、それを支える「理念」がないからだ。
今まで「理念」の代わりに憲法を支えてきたのは、
冷戦という政治状況と、アメリカ国家という「力」だった。
冷戦体制が崩壊して時間が経ち、
アメリカにとって日本を平和主義の国として維持しておくメリットがなくなってきたから、
憲法の平和主義が揺らいでいるのである。
そのことが、最近徐々に明らかになってきているように思われる。
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では、私たちは、どうしたらよいのか。
どうすれば、いかなるときにも人間に大きな危害を及ぼさないような日本国を作れるのだろうか。
とりあえず2つの方向があるだろう。
(1)アメリカやフランスのように新たに理念を創造する。
(2)理念がなくても国家が暴走しないシステムを作り出す。
おそらく日本には(1)は難しいのではないかと思う。
日本人の大多数には理念や言葉を尊重しようとする感覚が欠けているように思われるからだ。
丸山真男が「歴史意識の古層」で指摘したように、
日本人には理念や言葉よりも「時勢」あるいは「力」を崇拝する傾向がある。
(2)が妥当な気がするけれど、いまのところ具体的な方法が思いつかない。
それを、これから、みんなで、考えていかなれればならないのだと思う。