パン神社

三月、鳥取の樗谿神社で、パンをめぐる催し「とっとり 春のパン神社」が開かれた。
鳥取市内で小さな飲食店・雑貨店を営む人たちを中心に企画されたお祭りだ。
自分はパン屋ではないし店をやっているわけでもないのだが、
ひょんなことからスタッフとして働くことになった。
仕事はおもに、会場の神社公園に入ってくる車の整理をすること。
仕事を引きうけるとお祭りのあいだ働かなければいけないので、
イベントを楽しめなくなるかもしれない。
すこし迷ったものの、
鳥取で楽しい催しをしようと走り回る人たちを応援したい気持ちがまさって、
手伝うことにした。
当日は本当にたくさんの人が会場を訪れ、
誰も数えていなかったけれど、数百人くらいの来場があったように思う。
慣れない車の誘導をチームプレーでこなすのも、意外と楽しい経験だった。

お祭りが終わったあとの風景が、頭に残っている。
神社の境内。
お客さんが帰ったあと、出店者たちがテントをたたみ片付けをして、
残ったお店の人たちとスタッフたちが、笑ったり、話したりしている。
それを見下ろしながら、本殿前の石段の上の方でも話している人たちがいる。

すこしまえ、この場所には本当にたくさんの人がいて、それぞれが気持ちを昂らせていた。
そのあいだを僕たちも、同じく高揚した気持ちでとおりぬけていた。
その昂りが消えてしまったあとの、わずかな空白の感じ。
そこに残っているのは、でも寂しさだけではない。

成り行きで参加した身としては、
パンは好きだけれど、それをお祭りにすることにどれほどの意味があるのか分からなかった。
実際ほとんどの店では商品がかなり早く売り切れてしまって、買えなかったと不満げな人もいた。
パンを買えないと来てもあまりやることがないから、そういう人はちょっとかわいそうだった。
(もちろんこの催しは、小さな個人店主たちによる新しい試みだから、
いきなりすべての人を満足させるのは難しいと思うし、
今後はもっと変わっていくのかもしれない)

にもかかわらず、なにかが自分のなかに、くっきりと痕を残している。
大きな企業や自治体が関わっているわけでもない。
細々と日々お店を営んでいる人たちが、ちょっとずつ力を持ち寄ってつくり出した一日。
それが、これだけたくさんの人に届いたということ。
そのことが、僕たちの身体を、底の方からじわりとあたためているような、感覚。

僕たちは、その風景をみていた