草刈り

7月19日、村の草刈りがあった。
草刈りは今まで参加したことがなかったが、最近草刈り機の練習をして、初参加をした。
そこで大きな発見があった。

草刈りは大変だとみんな文句を言っているから面倒なことかと思っていたが、
草刈り機を使うのは、実は楽しい、ということだ。
ブンブンとバイクのような音を出し、高速回転する刃で次々と草を刈っていく。
草は自分の思うまま、次々となぎ倒されていく。
刈った跡は整然として、きれいになる。
これが快感でないはずがない。
どうして誰も教えてくれなかったのだろう。
今は老齢となった祖母を、子どもの僕たちは「ぶんぶんばあさん」と呼んでいたが、
八十五を過ぎても腰が痛いとかなんだかんだ言いながらブンブンやっている。
それはたぶん草刈りに楽しさがあるからなのだ。

こんな風に一人でやっても楽しい草刈りなのだが、それを集団でやるのも別の面白さがある。
そのことが昨日わかった。
村の草刈りでは、村人たちが公民館に集合して、
公園(という名の不思議な空き地で、春の花見と正月のとんど焼きにしかほぼ利用されていない)に向かう。
公園の直前で、銘々が草刈り機のプラグを引っ張って、ブウン、ブウンとエンジンをかけ始める。
刈った草が目に入らないように、サングラスをかけている人もいる。
光を反射して玉虫色に光るやつだ。
ブンブンと鳴らす刃物を持った集団は、次々に公園に入っていく。
その姿を見て「これはまるで暴走族みたいだ」と思った。
もちろん自分には暴走族の経験はないし、バイクにも乗れない。
村の人々も穏やかな人ばかりで、そんなイメージからはほど遠い。
しかしその日は、みんなが草刈り機を持った、バイク乗りたちのようだった。
草刈り機は危険な道具だ。
わずかの気の緩みで、自分も人も傷つけてしまう。
だからその危険に注意しなければならないし、お互いにあまり接近することもできない。
一人一人が円を描くように、草を刈っていく。
その円は、必ずわずかな距離を維持している。
草刈り機を持った一人一人は孤独だ。
その孤独な者たちが集まって、行動する。

でも、それだけではちょっと言い足りない。
彼らは村を混乱させるはみ出し者ではなく、
生い繁った草を刈って村をきれいにするという大事な使命を背負った、
どちらかといえばヒーローなのだ。
だから彼らは、暴走族のような孤独さと爽快さを持つ、村のヒーロー。
そしてその日、僕もその一員だった。

無事に公園の草刈りを終えた村人たちは、
一人一人公園を後にし、
次の仕事場である山の上の堤(ため池)へ向かっていった。