遠藤賢司
遠藤賢司が亡くなった。
それからだいぶ時間が経ってしまったけれど、何かを書きたいと思った。
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彼の名前を初めて知ったのは、実は高校生の時に読んだ『20世紀少年』という漫画で、
その主人公の名前が、あるミュージシャンに由来しているらしいと知ったことがきっかけだった。
ただ、エンケンの音楽なんてその頃まわりに聴いている友人はいなかったし、
ましてやテレビの音楽番組になど出ているはずもない。
漫画の作者は、世界を救うヒーローにするくらいすごいミュージシャンだと言っている気がするのに、
本人の姿もその音楽も、どこにも見えない。
当時はまだインターネットが普及しはじめたところで、検索という方法を使うことも思いつかなかった。
というか、僕の性格なのか、それともそういう時代だったからなのか、
知らない情報があっても、わからないならわからないままに抱えておくということが、
その時はとても自然なことだった。
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エンケンの音楽を聴くことになるのは、それから数年後。
東京の神楽坂にある、麦マルというカフェの周年ライブでエンケンを呼びたいということになって、
その店の店主と常連何人かで、吉祥寺のスターパインズカフェにライブを見に行った時だった。
エンケンは、店主の高校時代のアイドルだったらしい。
ライブの前に、中古のCDで『満足できるかな』を買って聴いた。
見た目によらず、意外と静かな歌を唄う人だなと思った(アルバムによるかもしれない)。
実際にライブを見て覚えているのは、年齢に比べてエンケンがとても若々しかったということと、
それから、曲の合間に眼鏡をかけ、新聞の切り抜きを取り出して、
何やら気難しそうに、政治や社会のことをボソボソとコメントしたことだった。
エンケンが毎日腹筋をしていて、楽器ものすごい練習をしているということも、
ファンの店主から聞いた(本当かどうかたしかめていないけれど、たぶん本当だろう)。
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結局その時の麦マルのライブは、エンケンのスケジュールが合わず実現せず、
それ以来エンケンのライブを見ることもなかった。
けれどその時から、彼が自分の同時代人として、存在するようになった気がする。
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エンケンが亡くなってから、あるラジオ番組で、闘病中に彼が出演していた回の再放送を聴いた。
その中でエンケンは、自分は「遠藤賢司の音楽」をやっているだけなのに、
それを勝手にフォークだとかロックだとか、ジャンル分けされてしまうことに強い憤りを示して、
必死にそのことを叫んでいた。
でも普通に彼の音楽を聴いたら、いわゆるロックだとかフォークだとか言われたら、
それはそうじゃないかという気がするし、
それにそう分けられるのは、ラジオ番組の司会者のせいでもないし、
ラジオを聴いている一人一人のせいでもないだろう。
そのはずなのに、彼はとても怒っていて、それは行きがかり上、司会者たちに向けられる形になっていた。
怒りは、なんだか過剰に思えた。
司会者たちは、マイクの向こうで戸惑っているような気がしたし、僕もそうだった。
エンケンの様子は、何年か前にスターパインズカフェで新聞を読み上げるときの調子と、どこか同じものを感じさせた。
いや、本当は、エンケンの声が届いている一人一人は、やはり彼を怒らせる、その責任を負っていたのかもしれない。
一つの音楽を、既存のジャンルに分類することで、理解したような気になる。
それは多くの人が、ふだんおそらくしていることだ。
そしてエンケンの怒りは、一人ひとりが、エンケンと同じように既存の型にはめられることに抵抗しないこと、
そこにも向かっている気がした。
世間によって自分が捻じ曲げられ、枠に嵌められていくことに対して、怒ってもいいんじゃないか。
それに安易に嵌まっていくことに、それを何も考えずに受け入れてしまうことに対して、
お前たちはそれでいいのか。
そう彼は言っている、そんな気がした。
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エンケンの姿は、僕の中で、まだ生きている。