黒澤明『天国と地獄』

初めて黒澤作品を観ました。

先日ドラマでやっていた作品のオリジナルですが

やはりかっこいい。



主人公、ナショナルシューズの重役の権藤は

勘違いで誘拐された友人の息子のために

自らの社会的地位を犠牲にして、5千万円の身代金を支払います

そうした彼の良心は、世間に賞賛されることになります



しかしこうした良心を、いまの映画が描くことができるでしょうか

もちろんそのような良心をもった人が、いまの世にいないとは思いません

けれどこのような描き方をする映画が、いま在りうるようにも思えません

それはその描写がリアリテイを表しえないからではないかと思います



なぜそのようなリアリテイの変化が起こったのか

わかりやすく「神は死んだ」ともいえないこの国で

わからないけれど、たしかに変化は存在します



自分がそのような社会の一員であること

その責任を引き受けなければならない

押しつぶされそうで、しかしそうであるがゆえに責任と呼ばれるのでしょうか