映画と希望

セドリック・クラピッシュ『PARIS』吉祥寺バウスシアターにて


希望を感じさせてくれる映画が好きだ


しかし「希望」とはなんだろうか?
それは、「この世界にもう少し生きていてもいい」と思わせてくれるものだ
くわえて「絶望」とは、その希望が消えたときのことをいうのだろう


希望や絶望は、それほどの重みをもっている
しかしそれとは対照的に、それらは驚くほど軽やかに降りかかってくるものだ


この映画を見て、希望を感じた


タイトルの示す通り、現代のパリについての映画だ
心臓病を患い、余命わずかと宣告された主人公の目から見たパリだ
はっきりと自らの期限を理解したとき、人は、
まわりのあらゆるすべてがあたりまえのものではないことに気づく


いや、そうではない。パリの街並や街路樹の葉は、日常をいとなむ多くの人々にとってたしかにあたりまえだ。
しかし主人公は、あたりまえなことの「あたりまえでなさ」に気づく。
「あたりまえなさ」を感じた彼は、コーヒーのはいったカップのぬくもりを愛おしみ
まだ幼い姪っ子や甥っ子にとってのサンタクロースを、とても優しい目で、守り抜こうとする
そのような目から見たパリは、もはやポストカードの写真に写るパリではない
デジタルカメラで撮ったパリでもない
主人公の目は「詩人」の目となり、
「あたりまえ」に存在している希望を、くまなく映し出す


「詩人」は、社会の流れにそって生活する人々の目からこぼれ落ちてしまうものをとらえる
「詩人」はこぼれ落ちていくものを、「翻訳」して伝えてくれる
「詩人」とは、この映画の主人公であり、そしてそれを生み出した監督自身でもある
パリですら、グローバル化の波を完全には防ぐことができず
そこはもはや、ルノワールの映したパリではないし、トリュフォーの描いたパリでもない
しかしこの映画は現代のパリを、とてもリアルに、
日本の映画館の中で「翻訳」してくれているように思った
こんなパリなら、もう一度訪れてみたい