ライ麦畑のキャッチャー

サリンジャーが死んでしまったということもあって、
久しぶりに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでみた。
サリンジャーの良さというのが、僕にはいまいちまだピンとこないのだが、
加藤典洋さんが『敗戦後論』で引用していたフレーズはなんとなく好きだと思った。


「彼はこう記している。『未成熟なもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。
 その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。』」
(J.D.Salinger/村上春樹訳『The Catcher in the Rye』132頁)


自分が未成熟なのか、成熟しているのか、「成熟」とは何か、
よくわからない
世の中に本当に「大義」なんてものがあるかということも、極めて疑わしいと思う
ましてやそのために死ねる根性なんてありません


でもやっぱなんかこれかっこいいな、と思ったりする今日この頃