本の紹介

この前の上映会のときに会場で並べた本の紹介文のいくつかを、ここにも書いておこうと思います。
原子力とか、これからの社会について考えるときにヒントを与えてくれそうな本を選びました。
あまりたいしたものじゃないけれど、
せっかく書いたし、多少なりとも誰かの何かの役に立つかもしれないと思ったので。

小出裕章原発のない世界へ』(筑摩書房)2011年
原子力の研究者という立場から、長年にわたって原発を批判し続けてきた小出裕章さんの本です。小出さんは「六ヶ所村ラプソディー」にも出演されていて、この本の第一章には鎌仲監督との対談が収録されています。対談という形式なので読みやすいですし、本の後半では鳥取人形峠のウラン採掘によって周辺が放射能の汚染にさらされたことなど、私たちに身近な話題も語られています。いま原発の問題を考えようとするとき、まず手に取るべき著者の本だと思います。今回は映画との関連からこの本を選びましたが、『隠される原子力・核の真実』(創史社)など他の著作もおすすめです。


飯田哲也、鎌仲ひとみ『今こそ、エネルギーシフト』(岩波ブックレット)2011年
環境エネルギー政策研究所(ISEP)の飯田哲也さんと鎌仲監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」コンビの本で、福島の原発事故と、自然エネルギーを中心とした持続可能な社会へのシフトというテーマについてコンパクトにまとめられています。飯田さんは、かつて企業で原発の技術者として働いていたとき原子力ムラのいい加減さを目の当たりにし、自身の人生の責任を取るために脱原発への活動を始めたとおっしゃっていました。3.11後には政府のエネルギー調査会の委員に加わり、これからの日本のエネルギー政策を真剣に考えられている方です。自然エネルギーについてより深く学びたい方には、飯田さんの『北欧のエネルギーデモクラシー』(新評論)がおすすめです。


肥田舜太郎、鎌仲ひとみ『内部被爆の脅威』(ちくま新書)2005年
自身が広島原爆の被爆者でもある医者の肥田舜太郎さんと鎌仲監督が、内部被曝の恐ろしさについて語っています。体内に放射性物質を吸い込むことによって起こる内部被曝は、レントゲンを撮ったり飛行機に乗ったりしたときに起こる体外被曝とでは深刻さがちがいます。前者の場合は体内に取り込まれた放射性物質放射線を出し続けるため、被曝の線量がはるかに増えてしまうのです。そのような危険性をもつ内部被曝のメカニズムについて、広島や劣化ウラン弾によるイラクの被曝者のことにも触れながらコンパクトにまとめられています。


田中優原発に頼らない社会へ』(武田ランダムハウス)2011年
鳥の劇場でもお話しされたことのある、田中優さんの本です。田中さんは地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、「未来バンク」「ap bank」「天然住宅」などのさまざまなNGO活動に関わっておられる方です。小出さんのような学者とは異なったスタンスから環境、経済、平和について論じていて、生活の足元から社会全体を見通すための視点を与えてくれます。巨大企業を「恐竜」に例えたり、持続可能な社会についての本のタイトルに『ヤマダ電機で電気自動車(クルマ)を買おう』とつけたり、ユニークな言葉づかいもおもしろい、たくさんのアイデアにあふれた本です。本のレイアウトも見易いです。


坂本龍一『いまだから読みたい本―3.11後の日本』(小学館)2011年
楽家坂本龍一さんが中心となって、3.11の後に仲間と情報交換しているうちに浮かび上がってきた、いま読んだらよいのではないかという文章を集めた本です。9.11のときには坂本さんの行動は『非戦』という本を作ることになりましたが、今回はこのようなアンソロジーを結実させることになりました。丸山真男伊丹万作の文章を読むと、原発から目を逸らしてきた私たちが第二次世界戦争に突き進んでいった世代と重なり、あの時から何も変わっていなかったのではないかという暗澹たる気持ちを抱かされますが、だからこそ今彼らの言葉に耳を傾けなければならないという気持ちにもなってきます。他にもチェルノブイリの被災者や広島の被爆者など、過去の惨事を反省する言葉が多く収録されていますが、その一方で、地球環境サミットで話題になったリオの12歳の少年の演説や、アメリカ先住民の言葉など、単に過去への反省にとどまらない広がりと多様性をもった本です。


西村佳哲『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)2011年
働き方研究家というけっこう不思議な職業の西村佳哲さんが、地方で生活している人々を取材して「いま、地方で生きるということ」について考える本です。取材されている地方は東北と九州ですが、取材時期は3.11後なので、多かれ少なかれ地震原発事故が登場する人たちの生活や考え方に影響を与えています。震災後都会から故郷の釜石に戻った人、都会に出ていないコンプレックスを抱えながらずっと秋田に住み続けているデザイナーの女性、九州のさびれた温泉町ににぎわいを取り戻させた男性など、様々な人の「いま、地方で生きるということ」を垣間見ることができます。けれどこの本は不思議な本で、地方の生き方how to本でもないし、学問的な研究書でもなく、そうかといってエッセイみたいなものとも言い切れない。何か学べるようで、何も学べないような気もする。それでもなにか魅力のようなものを感じさせるのは、自身も地方で生きることを模索している著者が、取材をしながらいろいろな人の声と自身の声を交差させ、さらには編集者までそこに入ってくるという、リアルな生き方のまるごとの交流があるからかもしれません。山と土をモチーフにした装丁もいいなあと思いました。