L’ecume des jours

オアフ島ではしょっちゅう虹が見える。昨日は5回くらい見た。虹の大安売り。ここに住む人にとっては、日本人にとって秋には木々が紅くなることが当然なことであるように、虹が自然なことなのだろう。でもやっぱり心動かされることなのだろう。

"Aim for stars. If you miss, accept the sky". 「星を目指しなさい。それでもし逃したら、空を受け入れなさい」。昨日もらったチョコレートのなかに入っていた言葉。当たり前のことをいっているのだが、言い方が詩的でなかなかいい。ということはつまり、詩なのだ。

ハワイ滞在中、機会があって"River of life"という、ホノルルのチャイナタウンにあるホームレス支援をしているNPOにボランティアに訪れた。チョコはそこで作っているものをもらったのだった。"River of life"の近くには川が流れていた。

むかし鳥取河原町に「リバー」という商店街があったが、あれは町の名前が河原だから"River"だったのではないか、とこんな遠くまできてやっと気づいた。そうだとしたらなかなかいいネーミングだ。

日本から遠く離れた場所にいて、いつも考えている日本のことが、すごくちっぽけに見えてくるような、でもそれはやっぱりそうではないような。そんな宙ぶらりんな気分を感じている。

ハワイは冬でも夏なので、みんなけっこう泳いだりしてるが、それがいま日本では不可能なことだと思うと何かわるいような気がして、自分はまだ泳いでいない。誰に対してわるいのか、よくわからないのだけど。

なぜか読んでいる小説が妙に身体に入ってくる。水村水苗の『私小説』とKazuo Ishiguro "The remains of the day"(『日の名残り』)。どちらも複雑なアイデンティティを抱えてしまった作家のものだ。日本の外で読んでいることも関係しているのだろう。

私小説』は、日本に帰りたい帰りたいと思いながらアメリカで暮らす主人公が、ある日、日本に帰ることを実は自分は恐れていたのだと気づく、というようなことから展開されていく話。面白い。

ハワイに来てみて、日本の外に、こんなにも日本のルーツをもっている人がいることに驚く。これまで日本のことを考えるとき、僕は日本国内の日本人のことしか頭になかった。しかし、それはいったいどういうことだったのか。「日本」にある枠が嵌められていたのかもしれない。

同様に、韓国に住む現代の韓国人は、在日韓国朝鮮人のことをほとんど知らないようだ。それが、すこしさみしい。そんなことを僕が言う権利があるのかどうかわからないが。

太平洋での米軍戦死者を追悼する共同墓地、Panchbowlを訪れた。たくさん星条旗がたなびいていた。キリスト教ではなく、国家による死者の弔い。アメリカ国家の宗教性を感じさせる場所だった。

ハワイの光は明るく、気持ちいい。空気も乾燥してさらっとしている。けれどここの空には朝焼けや夕焼けといったあわいの時間がほとんどないように思う。完全に暗いか完全に明るいか、どちらか。きっぱりしている。

英語もさっぱり、きっぱりしている。英語でコミュニケーションをとると、関係がかなり率直になる。同じ相手でも、日本語で話すときと関係が変わる。それはよいところでもあるし、悪く作用することもあるかもしれないと思う。人間の思考や関係性は、使う言語によってかなり変わってくるのは確かだろう。(しかし英語にいただきます、ごちそうさまに相当する言い回しがないのには、滞在中かなりフラストレーションを感じた。)

帰路、関空に到着し、税関で「日本人」と標示された列に並んでいるとき、なんだか不思議な気分を感じた。日本国籍をもつ「日本人」にとっては、日本国内で暮らしていれば、自分が「日本人」であることを直視する機会は、ほとんどない。日本がマジョリティである「日本人」によって作られ運営される国である以上、多数派が自らをあえて「日本人」と呼びつける必要はないからだ。名指されるのは基本的にマイノリティの人々である。だから(マジョリティである僕は)不思議な気持ちになったのだと思う。それくらい日本で「日本人」であることは、日本人にとって自然なことなのだ。

しかしその「自然」に括弧をつけることを、ときどきする必要があるにちがいない。なぜなら日本は世界のなかの一国家にすぎないのだから。日本を客観的に見る視点をもつこと。当たり前のことだけれども、そのことが、多様な人種の交錯するハワイで暮らしてみて一番強く印象づけられたことだった。