台湾・日本

台北の街を歩く。

歩くと至るところで食べ物を売っている。人が幸せそうに見える。目の前で誰かが作った物を、いつでもどこでも食べられる街。

けれどそのような光景を見ていて、自分は人の手触りみたいなものが感じられるものを求めているところがあるし、好きだが、それが過剰になると今度はちょっと窮屈になってしまう、そんなところがあると気づいた。これは僕を含めて、そういう育ち方をした世代の問題なのかもしれない。

歩き疲れ、じめっとした街の空気に自分を溶け込ませた。そうすると不意に自由になった感じがして、ああこうすればよかったんだ、と、息をつく。

台北郊外に金鉱石という街がある。この街はその名のとおり昔金鉱だったところで、多くの日本人が台湾人の労働者を酷使して金を採掘したそうである。そこには日本人が建てた神社があった。日本人は、かつてこんなところにまで神社を作っていたのだ。

時々考える、「祈り」とはいったいなんだろうかという問いが、その神社を前にして浮かんでくる。

祈るとは願いごとをすることだろうか。必ずしもそうではないだろう。寺社でまず手を合わせて、それから思い出したように願いごとを探すときがある。願い事をする前に、たぶん祈りは始まっているのだ。祈りとは、まず手を合わせているときの、心の態度のようなものではないだろうか。

祈りは、宗教的なもの=世界から超越しているものに向かう。だからその対象は、あるようでないような、在るのだがない、そんなものだ。宗教的なものへ向かうあり方は、願いでも、問いでも、対話でもない。ただただ、その前で心をあけ渡すようなあり方。そのとき自己(ego)はほとんど透明なくらいまでうすれているような感じがする。祈りは、まるでまったく無駄なことのような、しかし紙一重で何かの行為たりえているかのような、そのようなものであるように思う。

台湾の人たちの親日ぶりは、やや不思議だ。韓国と同じようにかつて日本に侵略されたはずなのに、本当に日本に好意を抱いてくれているようである。好かれて悪い気はしないが、だいぶ韓国の対日感情とちがう。僕としては韓国の反応の方が自然のようにも思う。台湾の親日は、もしかすると政治的に構築された部分があるのかもしれない。共産主義の中国に対抗しながら東アジアで生きていくためには日本と敵対するわけにはいかず、それがいまでは人々に自然に身体化されている、というような。
もちろん台湾の人々の親日には、もともとの人のよさみたいなところもあると思うし、それにはとても感謝しているのだけれど。

加藤典洋は『敗戦後論』で戦後日本の「ねじれ」を鋭く指摘したが、台湾にも、対日感情のこと以外にも、もともと台湾に住んでいた人々(本省人)と蒋介石と共に中国からやって来た人々(外省人)との対立や、それにともうなう中国本土との関係など、相当な「ねじれ」があるという感じをもった。