オクノさんの歌

なんのためにうまれて なにをして 生きるのか 
こたえられないなんて そんなのは いやだ
今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
***
やなせたかしが亡くなった夜、
四条河原町近くのお寺にオクノ修さんのライブを観に行った。
オクノさんは三条河原町の喫茶店六曜社のマスター。
いつも、てきぱきと店を切り盛りしている。
白いノリタケカップにお湯を注ぎ、ドーナツをあたため、一杯ずつコーヒーを淹れる。
時に下がった眼鏡からのぞく目が鋭い。
いらっしゃいませ、カウンターへどうぞ。
接客のときの声は、さっぱりして、緊張感がある。
けれど今晩の、歌唄いのオクノさんはちょっとちがった。
物腰はお店にいるときよりもやわらか、というか丸い。
眼鏡はかけていない。
ふらっとステージに出てきて、ぼーっとどこを見ているのか、ビールを飲んでいる。
そして、歌いはじめる。
さっきの丸いオクノさんから、若く、アツい声が絞り出されて、
力があって、なんというか、青い。
青くさい声、まっすぐな言葉たち。
オクノさんのは歌には、そんなものがたくさん詰まっていた。
そして、それは僕にとっても大切だと思えるものだった。
好きな言葉は?と訊かれて、
ない、説明したりするのはあまり好きじゃない、と答える。
歌は、説明しなくても、歌でいい。
だからオクノさんは唄うのだろうか。