桜の木の下で
花見の場所とりをしつつ、久々に中原中也を読んだ。
春にはあまり似つかわしくないが、やっぱりよい、
と思ったのでなんとなく引用
夏
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがような悲しさに、み空をとほく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は燃ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。
嵐のような心の歴史は
終焉ってしまったもののように
そこから繰れる一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方に睡る。
私は残る、亡骸として――
血を吐くようなせつなさかなしさ。
春だろうがなんだろうが、
このような気持ちになってしまうときにはなってしまうものだ
そんなときには、桜の花さえ、
憎らしい
とはいえ、今日の桜は、心地よく眺めることができました。
それはもちろん、ともに一日を過ごせた人々のおかげです。