書くことの倫理

「倫理」なんて言葉は大げさすぎるのであまりつかいたくなかったのだが
この場合はぴったりくる気がするので、思いきってみた


こういう場で何かを書くことについて、時折考える
なぜ書くのか、なんのために書くのか、何を書くのがふさわしいのか・・・
いまだによくわからない


けれど最近思うのは、誰かにきちんと伝えようとする態度さえあればいいのではないかということだ


自分が書きたいから書き、それを誰かに読んでもらいたいと思いながら書いている
表現というのは最終的には自己の満足を求めることだと思う
自己満足とはいっても、それによって他の誰かが多少なりとも楽しい気分になったり、
その人にとってすこしでも新たな発見があったりすれば、それはそれですばらしいことではないか
もしそうなら、書いているほうもなおさら楽しくなる


しかし書き手と読み手の両方が楽しくなるためには、
書き手の言葉が、読み手にきちんと伝わることが必要だ
そして相手に言葉をきちんと伝えるためには、ひとりよがりの表現ではだめで、
相手を想像しながら、その手をとって、一歩ずつゆっくりすすまなければならない


もうひとつ、読んだ相手を苦しめることも書いてはいけない気がしている
相手を苦しめるようなことを一方的に書くことは、相手に言葉を伝えようとする態度とはいえない
そこには読み手への配慮が存在していないからだ
そのような配慮を欠いた言葉は、やはり読み手には伝わりにくいと思う
誰かに苦しみを共有してもらいたいという欲望はもちろん誰にでもある
けれどその伝え方を考えないとやっぱり言葉は相手にとどかない
伝え方を考えるとは、相手を配慮することになるのではないだろうか


だからやはりこのような場で書くときには、
読み手を想像して、読み手に伝えようとして書かなければいけないと思う(自分がそれをうまくできている自信はないけれども)
なぜなら、誰かに読んでもらいたいと思いながら書いているのだから


読んでいる人の顔を想像しながら書くこと、書き手と読み手との隠れた対話
それはまさしく倫理と呼んでもよいことがらなのではないだろうか