縮み

洗濯したばかりのジーパンに脚を通したら
思いのほか縮んでいた
裾の折り返し一回分ほどだろうか


暖かな太陽の下に、すこしさらしすぎたせいかもしれない


以前は縮むことをけっこうおそれていて
いったん洗濯して形が安定してから裾を切ってもらいにいこうかと
気を揉んだりしていた


それでも結局、二度目に洗濯すると多少形が変わったりしてしまう


いつからか、形が変わってしまうことをそれほど恐れなくなった
変わった形も、それはそれで新しい表情を見せてくれておもしろい
ジーパンの形が変わったら、別のところを変えてこちらが調子を合わせればよいのだ


すこし考えてみると、ジーンズの色など身につけるたびに変化している
生地の畝の一本一本は日々擦り切れ、藍はすこしずつ薄れていく
まったく同じ状態など、二度とない
そんなものに安定した形など求めても、しょうがない気がしてきた


そういうわけで、自分にとってジーパンの変化に身を合わせることには、
仕方ないだろうという気持ちと、それはそれなりに楽しいという気持ちとが同居している


ある側面では、生きることもまた、ジーパンとの関係と同じに思われる