立つ位置について

大学時代のゼミの同輩は映画を作っていた
彼の映画が池袋シネマロサで上映されると聞いたので足を運んだ
上映されたのは『4』『mime lesson』『スパイ舌』の三本。
mime lesson』は数年前大学のゼミで見たことがあるのだが、
今回あらためて見て、微細な部分に監督の三宅唱くんのセンスの良さを感じた
それに彼の作品の全体に感じられる、光の肌合いのようなものも好きだと思った


最初の二本はすこしヌーヴェルヴァーグなどの雰囲気を感じさせるが、
『スパイ舌』はアメリカ(ハリウッド)映画的なものが撮りたくて作ったのだそうだ
たしかに、ハラハラどきどきスリリングな作品だと思う
(映像のテンポが速かったので、まだ理解しきれていない部分も多いのだけれど)


『スパイ舌』はあるコンペティションで最優秀賞を受賞したそうだ
映画上映後のポストトークで、壇上で質問に応える三宅くんの姿はまぶしかった
このように同輩が映画監督(しかもセンスのいい)だというのは個人的にとても誇らしい
とはいえ同時に、誰かすごい人物や作品に出会うといつも思うのだが、自分も負けていられないと心のうちで勝手に張り合ってしまうのだった

***

ところで、先日やっと、弥生美術館へ「やなせたかし展」を観に行くことができた
絵本の原画などとてもきれいで、彼のこれまでの足跡なども詳しく説明してあり、
とても楽しめる展覧会だった。
それに作品を見てだいたいわかっていたことではあるが、
彼自身が語る、創作に対する姿勢には共感するところが多かった。たとえばこんなところ

ボクは『詩とメルヘン』という本のなかでイラストレーターを育てていくとき、他の本のコンペとちがって、大衆性があり、実用性がある事をえらぶ条件にしています。
一般にコンペをやるといつも通俗なものは落ちてしまう。
しかし本当は「良い通俗性」というのが一番必要なはずです。
少数の知識人にわかるものよりも誰でもわかる通俗的なものの質を向上させたほうがいい。
そう思って絵を選んでいます。
美術館の奥深くにあるような絵――これも必要ですけど、むしろ一国の文化でいえば、普通の人が日常接する絵の質、文章の質、詩の質のいいことのほうが、ボクは大切だと思います。
ですから、ボクはそっちのほうで闘っているつもりなのです。
(『もうひとつのアンパンマン物語』より)

「良い通俗性」、とてもよい言葉だと思った
自分自身も「良い通俗性」を大切にできる人間でありたい。

***

三宅唱くんの言っていた「アメリカ映画的なもの」という言葉にも、
やなせたかしの言うような意味が込められていたのではないかと想像した
(まちがってたらごめん)