加藤周一の文体

村上春樹の『1Q84』を読み終えてしばらくたつ。


この作品について、なにか自分なりに言葉を発したいと思うのだが
まだうまく形にならない
ある文学作品について何かを語るとは、そもそもどういうことかよくわからない、
それが理由のひとつだ


作品について言葉を形にする行為は、「批評」と呼ばれることもあるだろう
しかし「批評」とは何のためにあるのか、誰に向かって、何を書けばよいのか
必ずしも自明ではないと思う


とはいえ、批評の責任はけっして軽いものではない
たとえば、ある作品について書かれた批評の出来が悪いと、
その批評文を読むことで、その作品そのものの魅力すら台無しになってしまうことだってある


批評とはいったい何なのだろうか

***

こんなことを考えていたら、なにげなく加藤周一の『日本人とは何か』に手が伸びた
批評家加藤周一はどんな言葉を残していたか、すこし確かめてみたくなったからかもしれない


戦後まもない時代に、かつての戦争を引き起こした日本人について考え抜いた著作であり、
内容についてはいまなお学ぶべきことが多い


けれどもいまは、彼の文体のほうに注意が向く
その文体には独特のリズムがあり、軽快で、読み手の足取りを軽くする


そのようなリズムを生み出す原因のひとつは、言葉の率直さではなかろうか
単語のひとつひとつに妙な含みをもたせる書き方をせず
思考のすじみちを読み手に正直にさらけ出すような、そのような率直さである
(もちろんそうすることは、容易なことではないのだが)


読んでいると、こちらも釈然としない気持ちを抱かされることがない
するすると、健全に、彼の論理をたどっていくことができるのだ