柔らかい言葉

今日の朝日新聞朝刊に高橋源一郎が書いていたことがとても大事なことな気がしたので、
ここに抜粋しておこうと思います。

 まいりました。「なにが?」って、スタジオジブリの小冊子「熱風」(8月号)の表紙に(中身じゃなくてすいません)。
 ジブリのある小金井の路上で、作業用のエプロンを着た宮崎駿御大が「NO!原発」のプラカードを首からぶら下げ、ひとりでデモをしている。その後ろを、傘を持った女性と右手に「Stop」のプラカード・左手で犬を引いた男性が、付き従うように歩いている。デモというより、散歩みたい。というか、どう見ても、黄門様と助さん角さん(もしくは、大トトロと中トトロ・小トトロ)だ。自転車に乗り、たまたますれ違った男性が、「えっえっ?変なオジサンかと思ったらミヤザキハヤオじゃん!」という表情を浮かべている。すごく面白い。けれど、ただ面白いだけじゃない。
 この面白さは、この写真が醸しだす「柔らかさ」から来ている、とぼくは思った。「柔らかさ」があるとは、いろんな意味にとれるということだ。ぼくたちは、このたった一枚の写真から、「反原発」への強い意志も、そういう姿勢は孤独に見えるよという意味も、どんなメッセージも日常から離れてはいけないよという示唆も、でも社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよねという溜め息も、同時に感じることができる。
 なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えたいと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけではダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが「柔らかさ」の秘密なのである。
朝日新聞「論壇時評」より部分抜粋〕