記憶すること

Social Kitchenというところの、震災/原発を考えるWorking Groupというのに参加していて、
スカイプで仙台の「3がつ11にちを忘れないためにセンター」の清水チナツさんと、
仙台の幼稚園でシュタイナー教育を実践されているゆんた美樹子さんという方から話を聞いた。
「3.11を記憶に残す」ということについてすこし考えさせられた。
「記憶する」という行為は、はっきりと未来に向けられた行為だ。
未来において、人びとが同じような誤りを繰り返さないように、それを記憶しようとするのだから。
それに対し原発というのは、
処理方法が見つからない放射性廃棄物を、現在のわずかな利便性のために排出し続けるのだから、
未来を見ない、現在だけに固執するシステムだといえるだろう。
そういう意味で原発は、「記憶」とは正反対の方向を向いている。
でもだとすれば、記憶という行為は原発システムに対する何か重要な抵抗の可能性を秘めているのかもしれない。
あまり根拠はないが、そんなことをふと思った。