沖縄 8月23日

5時半に起き、朝のバスで東村(ひがしそん)高江へ。高江は名護市北東の東海岸にあり、名護からバスで一時間ほど。やんばるといわれる森があり、海に囲まれた沖縄にあって山を感じさせる落ち着いた場所だ。その高江に米軍ヘリパッドの建設が持ち上がっており、反対する住民側と防衛局との激しい攻防が続いている。バス停に着いて15分ほど北に歩くと反対住民グループのテントがあるというのでそこまで歩いていったが、この日の朝はまさに防衛局が乗り込んできて、住民と激しい応酬となっていた。


住民の激しい怒声が鳴り響き、到着した僕はテントの横で軽々しく(もちろんいい加減な気持ちで来たわけではなかったが、目の前の光景に比べると自分の決意が軽くなった気がした)ここまで来てしまったことをすこし後悔していた。けれども夕方まで帰りのバスもないので、どうするわけにもいかない。朝方の防衛局との攻防が終わった後、京都から来ましたといって住民の方のテントにいれてもらい、座り込みに加わることにした。座り込みには入れ替わり立ち替わりいろいろな人が来て帰っていった。朝にはカレーの差し入れがあり、昼には弁当やパン、それからご飯と海苔をもってきた30歳くらいの男性がおにぎりを握ってくれた。


米軍敷地内には防衛局の依頼した業者がすでに入ってしまっており、時折重機を動かす音が聞こえる。しかし幸いにも朝の作戦で機材持ち込みを阻止したため、作業を続けるのは不可能なはずだということだった。そして夕方になって、作業員たちを迎えに防衛局と警察がやってきた。米軍敷地内の様子を見ようとする防衛局に対し住民代表は徹底的に抗議し、他の人たちもただ彼らの前に立ちふさがるという非暴力の抵抗を試みたので、最終的には彼らはあきらめて帰っていった。防衛局や警察がカメラでその場の様子を記録していたので、僕はたじろいであまり役に立つことはできなかったが、ぞろぞろと反対派の後について防衛局の人の前に立ったりしていた。カメラで撮影する防衛局の職員に対しては、若い女性たちが肖像権の侵害だとして手や旗をレンズの前にかざして抗議をしていた。そうこうしているうちに米軍敷地内に入っていた作業員たちが別の出口から逃げていったらしく、防衛局も引き揚げていったのだった。警察はただ一部始終をずっと監視していた。沖縄県警は、本土政府に対して基地負担の不満を県民と共有していて、住民側に比較的同情的なのだそうだ。


座り込みが終わってからは、山梨と静岡から応援に来ていた男性が泊まっている高江の宿でビールを一杯ごちそうになった。この宿は本土から応援に駆けつける人たちのために準備されたもので、一日1000円で宿泊できる。宿泊施設と同時に保育所もかねていて、小さい子たちがたくさん来ていた。ビールを飲みながらここに来た理由などをすこし説明し、最終のバスに乗って名護へ行き、乗り換えて宿泊地である今帰仁の結家(むすびや)というゲストハウスへ向かった。結家についたのは9時頃で、宿泊客たちは食卓を囲んでいた。静かに海の音が聴こえていた。