特別な

先日「初任給」らしきものをもらったので、
鰻を買うことにした。
誰がいつ始めたのか知らないが、日本には、
初任給で家族に何かをプレゼントするという(やや面倒な)風習があるからだ。
自分の場合、いま現在の仕事が「初任」なのかどうか疑わしい。
人より余分に学生をした上途中で空白があり、そのときにもアルバイトで給料をもらっていたし、
今の仕事もいってみればバイトのようなものに近い。
今回の給与にどれほど特別な意味があるのか。
とはいえ、まあなんとなく、「初任給」ということになっていた。

何を買うべき悩んだのだが、鰻を買うことにした。
家族がいったいどんなものが欲しいかよくわからないし、
そもそも、うちに限ったことではないが、今の社会にものは溢れている。
これ以上家に必要なものなどなさそうに思えた。
食べものがよいかと思った。
では何にするか。
特別な食事といえば、やはり寿司か。
しかし祖母が巻き寿司好きなせいで、最近は巻き寿司をよく食べていて、それほど特別感がない。
そこで、鰻である。
もう夏だし、そろそろ季節だ。
家族で鰻を食べることに決めた。
結果としてありありとわかったのは、鰻の偉大さであった。

実家の近くの菊乃屋という鮎料理の店で、うな丼を注文した。
この店では夏になると鰻料理を始める。
近所でもあるし、以前にもここで鰻弁当を買ったことがあったから、お願いすることにした。
そのことを一部の家族に控えめに伝えると、
ややそわそわした空気が生まれ始める。
菊乃屋にうな丼を取りに行くと言うと、なぜか弟もついてくるという。
手伝いが必要なほどの量でもないし、ふだんは弟と一緒に行動することは少ないのだが、
来るそうだ。
自宅に持ち帰って食卓まで運ぶと、昼食を待っていた祖父母は驚きを見せる。
そもそも「鰻重」ではなく「うな丼」だし、それほど高級な代物ではないのだが、
「鰻」という言葉は、やはりなにか特別な響きをもっているようだ。
紅い丼と、黒い吸い物の器が、微妙な存在感をもってテーブルの上に並べられた。
それに漬物と、鰻の骨の唐揚げ。
普段は銘々が適当に食べ始めるのだが、今日は家族そろっていただきますをしようということになった。
挨拶の前には、祖父が祝辞を述べるという。
先日の父の還暦祝いに続く、今年二度目の祝辞であった。

もちろんおいしかったけれど、
特筆するような鰻でもなかった。
うな丼だから、鰻に対してご飯の量も多かった。
しかしそれでも、このうな丼は、わが家にささやかな、特別な時間をもたらしてくれたようだった。
このようなものに一喜一憂できる家族にも感謝せねばならないが(そして菊乃屋にも)、
とはいえ、やはり鰻は偉大であると思った。
鰻はまちがいなく鰻であった。
暑かった、初夏の一日。